とりばけいの口笛

日々の泡沫とその他

ダリ展感想:実物を見るということ

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 ダリ展に行ってきたのだけど、めちゃ混んでて驚いたのと、名画を実際にこの目で見られるってやっぱり代替しがたい体験なのだなーと感じた。真近で「ポルト・リガトの聖母」や、「テトゥアンの大会戦」や、「ウラニウムと原子による憂鬱な牧歌」なんかを観賞すると、自然とじっくり細部まで見て、色々なことを考えようという気にさせられる。

ダリ展 | 国立新美術館 | 京都市美術館

展示は、ダリが生まれ、ピカソに会い、シュルレアリスムに迎え入れられ、マルチな才能を発揮し、量子力学原子力に傾倒していく、といったその生涯を、ほぼ本人の作品のみで辿っていくというシンプルな構成である。絵画技法やダリを取り巻く社会や環境の変化について多くを語ることはなかったが、ダリ自身の作品から、ダリが誰に会い、どのような影響を受けたのかということが素人目に見ても想像しやすいので、気兼ねなく見て回ることができたように思う。何より、これは何のモチーフで、何のメタファーで、といったことを考えなくても、「あ!ここにも時計が/見えない人が/手押し車が/蟻が出てきた!」といった額面通りに受け取って得られる面白さも沢山内包されている作品たちなので、普通に楽しいのだ。見ていて楽しいが、実は色々な文脈・物語が織り込まれている重層的な作品というのが、やはり一番好きだなぁ、ということを再度考えることが出来たのも、実際に美術館に行ってこの目で作品を見たことで得られた経験に含まれているのだろう。
しかし、「実際にこの目で見ている」の「実際」とは何かというのが、今後どんどん変性していく気がしなくもない。身体的にコストをかけて得た体験を重要視するということは、例えばVRで観賞出来る、アクセスが難しい構造のヴァーチャルミュージアムなんかに取って代わられるのかもしれない。脳の様々な分野を動かし、フィードバックを得て、統合されて得た観賞体験こそ脳生理学的に貴重なのだとしたら、様々な分野にアクセスするデバイスが違う次元の"体験"を拓くのかもしれない。そういうことを最近よく考える。