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とりばけいの口笛

日々の備忘録とあれこれ

宗教画のイベントに行ったメモ

イベント

怪しい話ではない。

 

新宿ロフトプラスワンにて、「宗教画と聞いてサイゼの壁を思い出す人の集い」に行ってきた。唯一今でもよく遊びに行く高校の友達に誘ってもらったのだけど、こういうイベントの開催を察知して的確に誘ってくれる能力を本当に重宝しています、ありがとうございます。

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ダヴィンチ恐山さんやオモコロ編集長の原宿さんやDPZライターの藤原浩一さんが、キリスト教を題材にした色んなテイストの漫画や本を執筆されている架神恭介さんの的確なタイミングの解説を頼りにしたりしなかったりしながら、キリストについてとか、宗教画をみんなで見てツッコミを入れる、というトークイベントだった。

 

混ざって喋りたくなるようなゆるさが始終あって、たしかに混ざれるようなゆるさが漂っているのだけれど、そのゆるさと同時に感じたのはボキャブラリーというか参照能力の高さで、同じものを見ていて、同じくらい宗教画に興味も知識もないのに、こんなにくすっと笑ってしまうコメントを引っ張ってこれるのはすごい、と笑いながら感心してしまっていた。ゲッセマネの祈りの絵の構図を見て、「宅飲みで家主以外全員寝てしまい、家主が一人途方に暮れながらベランダで煙草を吸っている」という説明は、普通の見方(キリストはキリストで、弟子は弟子で、描かれているものの意味をそのままで捉えるような見方)をしていたらなかなか出てこないよなぁ、と思う。こういう説明が出てくるのは、少し堅い言い方をすれば、今まで見てきた、得てきた体験やものごとの要素を上手く分解し、それぞれを接続し、参照出来る能力に長けているからなんだろう。

 

印象深かったのは、宗教画は描くテーマは同じでも、描かれた時代によってそのディテールが大きく異なっている、ということだった。同じ最後の晩餐でも、寝そべっている時もあるし、ユダが対面で座っている時もあるし、座席の周りの様子も少しずつ違っている。同じ受胎告知でも、マリアが何をしているかは違っているし、家具や服装も違っている。現代の受胎告知なら、グノシーをだらだら見ている女性のスマホに急にガブリエル(もちろん友達ではない)からLINEでスタンプと一緒におめでとうというメッセージが舞い込む、みたいなものになるのだろうか、などと考えてみると楽しいし、しかしそれらを全部受胎告知というキーワードが貫いている、ということも面白いなぁと思う。

 

ボキャブラリーを増やす、自分の引き出しの範囲を広くするのは大事ですね。というイベントメモでした。